<ノート note>

 

<長谷川六さんを悼む> 2021年3月末  逝去                   

  付かず離れずの不思議な縁                   2021.10.17 UP

1968年、私は芙二三枝子舞踊研究所で朝のクラスを受けて、午後幼児クラスの助手をしていました。なぜか、そこに長谷川六さんが2Fの小部屋を借りて事務所にしていました。なので、お目にかかったことはあったと思います。

私たち専門にダンスをしたいと思う10名ほどが試演会を重ねた結果、グループを作って公演をしようということで「ダンスグループ F」(芙二のF、ファイトのF、ファイヤーのF、フレンドのF、などそれぞれの解釈で)が誕生しました。第1回公演を厚生年金会館の小ホールで行うことになり、その時のプログラムに、六さんはお祝いの言葉を書いてくださり、応援してくださった。若いということは怖いもの知らずで、私たちは恐れもせず出発。(メンバーには、平山葉子、堀切叙子、井上恵美子、間仁田美那子、森谷紀久子、和田二三子など---) 

 

私がフリーになった後、六さんも事務所を他に移し、「ダンスワーク」の編集長として、数々の特集や記事を編集・発行。日本のダンス界に刺激を与える名物編集長として、長年、活躍してこられた。    

               

私もリサイタルや、ダンス集団「舞こぼし」を立ち上げ公演したときには掲載していただいた。多忙なはずなのに、なぜか現れて、モワティエ舞踊会の池宮信夫氏と一緒にお蕎麦を食べながらお話をしたり、「アジェメヘラ組曲」(澤玲郁子プロデュース)公演の打ち上げでお茶を出してくれたりしてらした。また、パリで会った矢野英征さんの伝言を伝えたこともありました。そんなふうに遠いながら近かったりで、長い道のりがありました。

国際演劇協会日本センター(ITI UNESCO) でも、不思議な出会いでした。ダンス部会を作りたくて国立能楽堂の会議室を借りて活発に動いていました。その時パリITI本部ダンス部会の事務局長の来日を迎え、歓迎会も行いました。結局「ダンス部会」は作れませんでしたが、私が1回、ITIを退会した時に「アジアダンス会議」を主導したのだと思います。その時の専務理事:中根公夫、岩淵達夫 事務局長:小田切よう子 でした。何か新しいことをしようと意欲的な体制だったように思います。

それからは、あまりお目にかかることもなく、武藤大祐、志賀信夫氏から訃報を聞くまで遠い存在でした。なぜか遠くて近い不思議な出会い。後年はパフォーマンスをしてらしたようですが、私の中の長谷川六さんは編集者ジャーナリストとしての姿でしか思い出せません。長谷川六さんがいなかったら、日本のダンス界はもっと保守的で、閉鎖的で、もっと世界に遅れを取っていたと思います。

ゆっくり、お休みくださいと伝えたいです。                                        

 

居上紗笈

 

(武藤大祐氏のツイートより)

舞踊評論家の長谷川六さんが3月末に亡くなっていたとの情報。1967年に『ダンスワーク』誌を創刊、ポストモダンダンスと舞踏を並行して紹介し、ヌーヴェルダンスも丹念にフォローしていた。

目利きで知られた六さんの舌鋒は鋭く、批判精神に溢れていた。

 

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サンデル教授に聞く「能力主義」の問題点。自己責任論の国・日本への処方箋は? 

【マイケル・サンデル✖️平野啓一郎特別対談】                  2021.10.17 UP

 

動画を見ました。

たくさん話し合われた結果、結局、平野さんが提唱している「分人主義」に行き着いたのは色々考えさせられました。

例えば、ボランティアで活動している人たち、地域のコミュニティで活動している人たちにも、労働に見合った対価(労働時間も含めて)を支払うシステムを導入できれば、貧困、貧窮の解決にも繋がっていくのではないか?

 

高収入の人から税金をたくさん収めてもらって、落差を無くしていく提案。

デジタルの時代にあってテレワークができる人たちだけでなく、肉体労働(現場労働)の大切さを話されたのは貴重なお話、ご意見でした。

 

政治に関わる方々に聞いてもらいたい対談でした。

 

参考図書:

マイケル・サンデル教授 最新刊『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 

平野啓一郎 最新長篇『本心』